開業直後にNAS港北の会員になりました。
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源平の時代から、江戸時代まで、瀬戸内は満潮干潮の度に潮の流れが変わるのを利用して航海していました。
鞆の浦は潮待ちの宿場(東から来て西に行く人、またその逆の人が潮の流れが変わるのを待つ宿場)・物流の拠点として栄えていて、 木村家は江戸時代末期、鞆の浦で「魚屋」という屋号で商人をしていました。 水野藩に財政援助し、商人でありながら、木村の性を名乗ることを許されていたそうです。 海援隊の船「いろは丸」が鞆の浦の沖で紀伊藩の船「明光丸」と衝突・沈没した際、 坂本竜馬が紀伊藩との賠償交渉を木村家で行った(紀伊藩は御三家、それを相手に浪人が堂々と交渉したらしい) のが、木村家に伝わる唯一の自慢です。 |
私が行ったことのあるランチスポットです。