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あとがき

 電車の中で読める,医者が患者に診察室で説明するような口調で書かれた本を出すことになったので,泌尿器科のところを書いてくれないかとの話が寺下君から来たのは平成六年八月末で,光栄に思い,さっそく依頼を引き受けました.
 ワープロ入力は,東大分院の泌尿器科の医局で,医局秘書の矢崎浩子さんに手伝ってもらいながらやりました.ある時私が116ページの簑和田医師の紹介文をワープロに入力しているのを若い医局員がのぞき込み,「先輩層が薄いなんて書いていいんですか.北村助教授が見たら怒りますよ」と,ひやかしていきました.北村助教授とは,東大分院泌尿器科の科長で,私の直接の上司です.昭和四十七年入局ですから,まさに「薄い先輩層」に入るわけです.少ししか印刷しない本だと教育書籍の編集部の篠原さんから聞いていますので,まず大丈夫と思いますが,混乱期に入局されて頑張られた先輩方の目に触れましたら,薄いというのはあくまで数のことですのでお許しください.

 私は,平成六年六月に東大講師になったばかりで,その前の四年間は東京都職員共済組合青山病院に勤めていました.この本を書き始めた時は,まさに青山病院の診察室で説明する程度の内容で良いだろうと気楽にやっていましたが,だんだん東大講師の肩書きが気になり始めました.寺下君の友達で,青山病院の木村明が書いた本ならこれでもいいだろうが,東大講師が根拠のはっきりしないものを断定的に言って良いのだろうかと.自意識過剰だと笑われそうですが,スポーツ新聞などに,「衝撃! 禁欲すると前立腺ガンに! 東大医学部講師が警告」などと書かれると大変です.このページに書いた前立腺肥大症と前立腺ガンの人の人に行った性生活についてのアンケート調査の論文と,このページに書いた「前立腺は年齢とともに萎縮していくのが普通ですが,約三割の人では五十代から前立腺の肥大が始まります.」の根拠の論文,以前確かに読んだのですが,手元にコピーはとっていなかったので,本郷にある本院の図書室で調べました.性生活というのがタイトルに入っていたような気がしていたのでなかなか見つけることができませんでした.ただ,この論文が出たとき医局でも話題となり,昼食の時,教授がSexの持続時間が長いと言うのは強いのか弱いのかといった,問題提起をされて,盛り上がったのを鮮明に覚えておりました.教授と一緒に昼食をとるのはあまり消化に良いものではありません.この時だけは楽しい食事会だったのです.その時その場にいた人たちの面子から,昭和五十九年頃とあたりをつけ,やっと見つけることができました.医学論文の参考文献の形式で書くと(すみません.おつきあいください),オリジナル論文は次の四つです.
三品輝男,渡辺 泱,荒木博孝,都田慶一,藤原光文,小林徳朗,前川幹雄:前立腺癌の疫学的研究,日泌尿会誌,72,1256-1279,1981.
荒木博孝:前立腺肥大症の疫学的研究.日泌尿会誌,72,1477-1491,1981.
森 康行:正常前立腺の超音波計測.日泌尿会誌,73,767-781,1982.
大西克実,大江 宏,渡辺 泱:長期観察例における超音波計測結果よりみた前立腺肥大症の進展機序.日泌尿会誌,75,1141-1147,1984.

内視鏡手術の裏話

 もう一つ気になったのは,血液透析に用いる透析膜を「セロハンのような半透膜」(?ページ)と言って,腎臓内科の大家の先生たちに叱られないかです.そう思って医局にある新臨床泌尿器科全書を見たら,第十七巻Bの六ページにセロハンが使われていると書いてありました.この教科書は昭和六十一年に出版されたものですから,今の透析器にはもうセロハンは使われていないと思いますが,嘘は書いていないことがわかってほっとしました.
 私の研究テーマは超音波検査です.今は,前立腺の重量を超音波検査から簡単にしかも正確に計算する方法につき検討中です.?ページで紹介した前立腺ガンの診断に役立つ前立腺抗原(PSA)は,実は前立腺肥大症でも異常値になることがあります.しかし,PSAの値を前立腺の重量で割って,前立腺一グラムあたりのPSA密度を計算すると,ガンと肥大症がはっきり区別できることがわかってきました.したがって,前立腺重量が正確に計算できればそれだけ前立腺ガンの診断精度が上がります.
 平成六年一月のサンデー毎日に,医師のすすめる医師二千七百人で私も載せていただきましたが,それには私の専門が,前立腺肥大症となっていました.私は,前立腺肥大症の超音波診断が専門と書いたのですが,字数の関係で削られたようです.週刊誌に載ると誤解する人もいるようなので正直を申しますが,私は前立腺肥大症の内視鏡手術が都内で何本かの指に入るほどうまいわけではありません.手術に関しては人なみです.

 そもそも,ある程度経験を積んだ医者同士でどちらが手術が上手かなどは,何を基準にするかで変わってきます.手術時間が短く,出血量が少なければ,それが全てという訳ではありません.確かに手先は器用な方が良いでしょうが,職業としていつも手術に携わっているわけですから,天性の器用さが,技量の差としてでることはありません.織田裕二が主演したテレビドラマ「振り向けば奴がいる」のような天才外科医はいないのです.

 ただし,内視鏡手術はごく最近まで,名人から弟子にマンツーマンで教えるしかない,特殊な技術でした.私が学生のころには,膀胱鏡に接続できるテレビカメラがなく,泌尿器科の手術実習に行っても,術者が患者の股の間に入って,内視鏡を操っているのが見えるだけで,中は見せてもらえず,それは退屈な実習でした.そのころの内視鏡手術の指導は,新米とベテランが交互に,股の間に座って,まずベテランが”尿道口の右手前のこのでっぱりをとりあえず三掻きほど削れ”と言ってから席を新米に譲り,言われたところまでやったら,またベテランに替わるというものでした.肝心なところになると,ベテラン自身が削り,時々新米に覗かせてやると言った,調子で教えるので,一人の医者を育てるのに一人のベテランが十回くらい指導しなければなりませんでした.ですから,内視鏡手術の名人のいる病院に回った医師がその技術を早く身につけ,若手医師の間で最も差がつく技術でした.?ページに紹介した医師たちは若い頃,東京逓信病院の前部長だった岩動孝一郎先生(現山王病院)や 細井康男先生の指導を直接受けることができ,私より先に上手になってしまい,その後追いつくのが大変でした.  テレビカメラの小型化により,今では,内視鏡手術の指導は,新米に削らせながら,ベテランがテレビを見て,注意することが出来るようになり,効率が良くなりました.受持ちでない医者も手術が見学できるようになり,実際に執刀しなくても,勉強できるようになり,名人芸ではなくなってきました.そして,学生は退屈せずに手術を見学できるようになりました.
 さて,やっと本を一冊書き終えることができました.超音波や結石破砕の解説書など,医者向けの本の一部だけなら,何度か書いたことはありましたが,一冊の本をまるまるひとりで書き上げるのは今回が初めてです.
 後は,この本が評判になって,広島県福山市からさらに20km北に入った、両親の住む府中市の小さな本屋にも並んでくれると,最高の親孝行になるのですが.一番心配なのは,このシリーズの中で,この六巻だけが大量に売れ残り,教育書籍にご迷惑をおかけすることです.