1984年
ドクターフリッカーが昨日のブログで1994年の思い出を書かれていました。博士号を取るための苦労話みたいでした。
私はその10年前の、1984年に博士号を取りました。
「前立腺超音波断層像の計量解析」というタイトルですが、論文審査を担当してくださった、統計学の教授が、
うちの教室に生データを持ってくれば、もっと、高次元での解析が出来るといわれ、統計学教室にお邪魔する事になりました。
博士号を取った後も、前立腺超音波の研究を続け、
20th International Society of Urology(Vienna). The quantitative analysis of the ultrasonogram of the prostate. Kimura,A.,Nakamura,S.,Niizuma,M.,Hoshino,T.,Niijima,T.Ohashi,Y., Higuchi,T.
1985年、そのデータを持って家族でウィーンに行きました。
1984年に私にパラレルワールドはありえたか?
静岡県の某病院に(医局を卒業する形で)赴任する話があったのは、この年だったような気がします。
結局お断りしました。行っていたらどんな人生になっていたんでしょう。
静岡の病院に赴任する可能性が高かったので、息子は洗足学園幼稚園の3年保育に行けなくなりました。
入試には通っていたのですが、断ったんだと思います。キャンセルのキャンセルはできませんでした。
息子は2年保育の松組に入りましたが、3年保育の池組に入っていたら、彼の人生は何か変わっていたでしょうか?
1Q84の感想文は、読み終わってから、と思っていますが、
私は1984年に博士になったんだなあ、と思い出していたら、昨日のドクターフリッカーのブログを読んで、今日は早くも1Q84ネタになりました。
まだBook1の途中ですから、ストーリーが分かるコメントを書き込まないでくださいね。