link to top page



川中島:勝つ戦法と負けない戦法


今やセンター南医療ヴィレッジの中心人物は亜沙郎先生。ビルの大家さんから見ても、亜沙郎先生が最大の店子ですから当然ですが。

3年目の課題というタイトルではまだまだ日当直のバイトを続けなければ、と書いてありました。2周年記念というタイトルの時は、月4回ぐらい日当直のバイトをしているとも書かれていました。

亜沙郎先生のクリニックの占有面積は当院の2.5倍です。月4回の日当直のバイト代はちょうどうちと亜沙郎クリニックとの家賃の違いぐらいです。

センター南医療ヴィレッジがオープンしたのは2005年4月。最初から開業したのは村長さんと私。村長さんは、私が小さいスペースしか要求しなかったから、結果的に4階に大きなスペースが残った、と誤解されています。

それは違います。私があのビルの事を知ったときには、小児科と眼科(アキコ先生ではありません)が決まっていたのです。で、眼科の先生は日帰り手術をするつもりで大きなスペースを確保しておられました。

そのおかげで、皮膚泌尿器科にちょうどよいスペースが4階に残っていたので、私が契約したのです。その後その眼科の先生はキャンセルされました。その先生が予定通り開業されていれば、アキコ先生とは会えなかったでしょう。

亜沙郎先生とも知り合えなかったかもしれないし、逆に3階のもう少し狭い部屋を借りておられたかもしれません。

狭い部屋で開業されていたらもう当直のバイトから開放されていたかもしれません。でも、景色が気に入ってあそこを借りたと、あすなろ開業物語に書いてありました。

大きなスペースに似合う患者数を診療するには、会計士さんの言われる通り、スタッフも増やす必要があるのでしょう。スタッフが増えるとその分、苦労が増えるようなことがドクターMのブログに書いてありますが。

その点、うちは気楽です。テナント料は安いので、これから競合が増えて患者さんが減り、さらに診療報酬も減らされるのなら、スタッフが辞めても補充せず、父ちゃん母ちゃん農業に移行しても生きていけます。ちょうど来年4月、娘も静岡日赤に就職します(国試、通ってね)。

ドクターMの言う「都筑区医療バトル」。うちは勝てはしませんが、負けもしません。勝とうとするか、負けないようにするか。

昨日、風林火山の最終回だけ、正座してみました。それまで負けない戦法を取っていた武田信玄が、川中島ではあえて勝つ戦法にチャレンジ、甚大な被害を出しました。

川中島と関が原、やっぱり知名度では関が原でしょう。ア・バウア・クーはガンダムおたくにとっては川中島ですか、関が原ですか?

[戻る]