
横浜市都筑区・センター南駅前(横浜市営地下鉄で新横浜駅から10分、あざみ野駅から6分、日吉駅から13分、中山駅から8分)のバスターミナルに面するベルヴィル茅ヶ崎4階にある泌尿器科皮膚科です。
2005年(4月から)〜2010年(6月まで)に行った手術と予約検査の件数は下記の通りです。
| 年 | 環状切除 (包茎手術) | 精管結サツ (パイプカット) | 皮膚腫瘍切除 | 前立腺癌組織検査 (前立腺針生検) | 膀胱鏡検査 |
| 2005年 | 19 | 11 | 7 | 18 | 15 |
| 2006年 | 43 | 18 | 11 | 34 | 34 |
| 2007年 | 34 | 18 | 5 | 44 | 32 |
| 2008年 | 23 | 9 | 2 | 45 | 31 |
| 2009年 | 19 | 4 | 0 | 29 | 33 |
| 2010年前半 | 7 | 7 | 0 | 18 | 14 |
2005年4月から2010年3月の5年間に180例の前立腺針生検を行い82人の方が前立腺癌と判明しました。
最近、前立腺針生検について電話での問い合わせがよくありますが、電話で応対するのは事務員で医学知識はありません。
当院に通院中の患者さん以外は、院長は電話口に出ません。
お電話での問い合わせの前に、まずここをご覧下さい。
2010年の休診の予定はこちらです。
男性型脱毛症(AGA)治療薬プロペシア・ED治療薬;バイアグラ
・レビトラ・シアリスを院内処方します。
平日の夕方6時以降や土曜日の午後12時以降に来院された場合も当院は時間外加算(3割負担の方で150円)を頂きません。理由はこちらをご覧下さい。
センター南医療ヴィレッジの医療機関
開業後5年間、院内広報誌:セン南(センナン)うろでるプレスを年4回発行し、
泌尿器科と皮膚科の話題を交互に提供しておりました。
センター南医療ヴィレッジの他の医院を訪れた方にもお読みいただけるよう、
当院の入り口においてあります。
メトロガイド2009年2月号に膀胱炎の記事が掲載されました。
読売新聞社が発行した「病院の実力2008春」に、当院独自の「PSAの値と前立腺体積から前立腺癌の確率を計算する方法」が紹介されました。
その方法はこちらです。早見表はこちらです。
この件に関し、お電話での問い合わせの前に、まずここをご覧下さい。
2007年4月15-19日に、神戸で開かれた泌尿器科学会総会で前立腺炎に関する演題を発表しました。発表内容はここをご覧下さい。
2006年10月21日、泌尿器科学会で、開業後1年間に行った24例の日帰り前立腺針生検の成績を
発表しました。学会での質疑内容は私のブログに書いておきました。
2008年3月18日発売の週刊アスキーで、当院での包茎治療の方針を漫画で紹介していただきました。似顔絵 −−−>
週刊がん もっといい日のサイトに、2008年2月15日、当院の日帰り前立腺生検の説明が掲載されました。
「最小限の侵襲で精度の高い検査を目指す」など、当院の生検の特徴が分かりやすく紹介されていますので、御訪問下さい。
2007年12月27日の読売新聞で、院長が前立腺がん治療中や再発後のPSA値についての質問にお答えしました。
この件に関し、お電話での問い合わせの前に、まずここをご覧下さい。
2007年10月22・23日の読売新聞に、当院独自の「PSAの値と前立腺体積から前立腺癌の確率を計算する方法」が紹介されました。
その方法はこちらです。早見表はこちらです。
この件に関し、お電話での問い合わせの前に、まずここをご覧下さい。
ドリカムの吉田美和さんの夫:末田健さん(33歳)が胚細胞腫瘍で死去したことに関して、2007年10月7日放送予定の日テレ:THE・サンデーで取り上げたいので、胚細胞腫瘍とはどんな病気なのかの説明をしてほしいとの依頼が10月5日にあり、取材に応じました。
こちらをご覧下さい。
2007年9月1日の朝日新聞に、前立腺がん 住民検診「勧めらない」 厚労省研究班、指針案に学会反論
という記事が出ていました。この件に関する私の意見はここをご覧下さい。
2007年5月24日木曜にFMサルースの『ザ・ビタミンママワイド』に出演しました。詳しくはこちらをご覧下さい。
10月10日号のレタスクラブに、若い女性の頻尿について、私が解説した記事が掲載されました。
9月19日の夕刊フジに名医として紹介されました。
センター南駅から昭和大学横浜市北部病院には、どうやって行っておられますか?
実は、出口5番からが最も近いのです。 ここをご覧ください。
Q.なぜ泌尿器科と皮膚科が一緒なの?
A.その答えは明治時代に遡ります。
明治24年(1891)帝国大学医科大学を卒業した土肥慶蔵先生は、同26年(1893)文部省留学生として渡欧。
独ハイデルベルグ大学で学んだのち、ウィーン大学で皮膚科学を修め、
さらにドイツのブレスラウ大学でナイセルに泌尿器科学を学び、パリ大学では泌尿器科外科学を学んで、
帰国後、東京帝国大学医学部教授となり、皮膚泌尿器科教室を設立しました。
このため、日本だけの特殊事情ですが、皮膚科と泌尿器科を診られる門下生が日本中に育っていったわけです。