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シュトゥットガルト研修旅行


1984年、日本にも結石破砕装置が上陸することになった。東大病院で治験が行われることになり、東大病院泌尿器科の助手2人が 1984年10月27日ー11月10日、 西ドイツ・シュトゥットガルトのカタリーネン病院に結石破砕装置の操作法をマスターすべく派遣された。

結石破砕装置は1980年ミュンヘン大学のChausy教授がドルニエ社と発明したものだが、1984年当時、もっとも症例数をこなしていたのは、 2台目の装置が入った、シュトゥットガルトのカタリーネン病院で、ドルニエ社は各国の見学者をカタリーネン病院に案内していた。

ドルニエ社の初号機HM3。患者は天井から担架で吊るされ、水槽に浸けられる。
担架の操作、レントゲン装置、電極(消耗品)の取替え、電圧の調整、お風呂の給排水など、操作パネルには無数のスイッチがあった。
操作パネルとは別に、壁にスイッチがあり、いつもは1になっていたのが、ある日2になっていた。 英語があまり得意でないその日の担当者に、意を決して"Was ist das?"と尋ねたら、"Air conditioner(エルコンディショネール)"という答えが返ってきたのをよく覚えている。

秘書。紹介状の返事はすべて彼女たちがタイプするので、医者は事務仕事から解放され、治療とカンファレンスに専念できる。 日本は20年以上遅れている!

朝7時からのカンファレンス、9時からの結石破砕の見学の後、アフターファイブはビアホールで一杯。4年先輩の先生と。

週末は行楽地を訪れたが、季節はずれで閑散としており、店は閉まっていた。男二人ですごく惨めだった。
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